東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1973号 判決
本件公正証書による相互掛金契約に基く債務履行契約に被控訴人が主債務者佐藤次信のために連帯保証人となつたかどうかという点について判断するのに、証拠を綜合すれば次のように認定することができる。すなわち、佐藤次信は昭和三十二年一月頃控訴銀行の日掛相互掛金契約に加入し、同年五月十一日金三十六万円二件合計金七十二万円の給付金額を受け取り、毎日一件金千円づつ同月十二日から二百五十七回に未払込掛金二十五万七千円二件合計金五十一万四千円を支払うべく、払込遅延のときは百円につき一日金五銭の割合による遅延損害金を支払うべき旨を約定し、この債務履行契約に被控訴人が佐藤次信のために連帯保証人となつた。当時及びその前から被控訴人と佐藤次信とは親交のある間柄で、被控訴人も佐藤次信が食肉商を営みその営業成績も良かつたものと思われたので、同人に請われるまま意に留める程もなく右の連帯保証人となつたのであるが、その前後から佐藤次信は被控訴人に他の借金の保証を依頼し、あるいは融通手形の交付を求め、被控訴人がこれに応じている間に佐藤の営業は不振の一途を辿り、被控訴人において佐藤に融通した手形金の支払や、他に佐藤の保証人となつた借金の支払をしなければならなくなつたので、被控訴人も困惑し、そのうち小口の分についてはどうやら自分で始末したものの、稍々大口のものについては手形の書換、あるいは延期を請うよりほかに方法がなかつた。佐藤次信の控訴銀行に対する右二件の日掛による債務履行契約も当初のうちは間違なく履行して来たが、数カ月を出でずして既に遅滞に陥つて来たのであつて、同年八、九月頃佐藤次信は控訴銀行の担当員のすすめにより同銀行に預金した定期と掛金とを右二件の債務履行契約の元利金の弁済に充て精算した結果元金が金四十六万八千円となり、これを毎日金一千三百円づつ支払うことに契約の更改をなしたのである。すなわち、右二件の債務履行契約は元金を金四十六万八千円とし、毎日金一千三百円づつ支払うことの新たな債務履行契約の成立によつて消滅したのである。そこでこの新たな債務履行契約についても控訴銀行の担当員から連帯保証人をつけるべきことを要求された佐藤次信は、被控訴人に前同様連帯保証人となつてくれと頼んだが、前記のように佐藤のために多くの借財の支払に追われて来た被控訴人は、固くこれを拒絶し、「今度こそ他に連帯保証人を求めてくれ、自分は困る。」とこれを承諾しなかつたので、佐藤次信は、このことを控訴銀行の担当員に告げたところ、担当員より前の連帯保証人でなければならないといわれ、そのままにしていたところ、屡々控訴銀行から右新債務履行契約について前の連帯保証人をつけて公正証書を作成すべきことの催促を受けたため、同年九月十八日に至り、被控訴人の承諾を得ることなく、当時たまたま被控訴人の妻から融通小切手に関して受け取つていた被控訴人の実印を不正に使用して、被控訴人名義の印鑑証明書の下付を受け、その他債務履行契約公正証書を作成するに必要とする書類を作成して控訴銀行の係員に交付し、これによつて本件公正証書が作成されたことを認めることができる。してみると、本件公正証書作成に関する委任状中、委任者である連帯保証人被控訴人の署名捺印部分は右認定のように佐藤次信が被控訴人の実印を不正に使用して偽造したものであつて、真正に成立したものと認めることはできないから、これを以て本件公正証書が被控訴人の適法な代理権限ある者の嘱託によつて作成されたことの証左となし得ないこと当然である。
控訴人は、本件公正証書作成に関する委任状中、被控訴人関係部分につき仮りに佐藤次信が他の目的のため被控訴人から預つた印章を擅まに押捺して作成したものであるとしても、控訴人においては佐藤が被控訴人に代つて該委任状にその記名捺印すること、すなわち当該公正証書の作成並びにこれに関する代理権授与の権限を有するものと信じ、且つかく信ずるにつき正当の理由があつたから民法第百十条により本件公正証書による契約につき被控訴人はその責に任ずべきものであると主張するけれども、被控訴人の本訴請求は本件公正証書による債務につき連帯保証をしたことがないことを事由とするのみならず、本件公正証書は偽造の委任状に基き作成されたものであること、即ち被控訴人の適法な代理権限のない者の嘱託によつて作成されたことを原因としてその執行力の排除を求めるにあるところ、右公正証書の記載中、執行認諾の部分については強制執行による権利保護の要件を形成し訴訟法上の法律行為たる性質を帯有し、該公正証書に表示された他の私法上の契約の効力とは区別して考えるべきものであつて、後者について民法第百十条の適用がある場合でも前者についてはその性質上私法の原則として表見代理につき認められた前記法条の適用はないものと解するのを相当とする。従つて、控訴人主張のいわゆる代理権限を有すると信ずべき正当理由の有無を判断するまでもなく、本件公正証書自体の債務名義たる効力はこれを否定するほかはない。
よつて本件公正証書の執行力の排除を求める被控訴人の本訴請求は正当として認容すべく、これと同趣旨に出でた原判決は相当であるから、本件控訴は理由がない。